『ミッドナイトスワン』を見てきました

バレエ

草彅剛君主演の映画『ミッドナイトスワン』を見てきました。見終わった後の帰路は足取りも重くなり、体中のエネルギーを吸い取られてしまった気がしていたのですが、そうではありませんでした。例えて言うならば、時間をかけないと消化できないほど硬い、様々な味がする、そして栄養がある未知の物を口にしてしまったような感じです。数日経っても、草彅君演じる凪沙の行動と決断について考え続けています。

草彅くん演じる凪沙に吸い込まれる

別に意図して見ようとしていなかったのに、ふと目にした瞬間に目が釘付けになるというか、視線を奪われてしまうものってありませんか。私にとっては、例えばDA PUMPやPerfumeのダンスがそうだったりするのですが。

今回『ミッドナイトスワン』でトランスジェンダーに苦しむ「凪沙」もそうでした。

草彅君は鼻筋が通ってる顔だけれど、取り立ててきれいだとは思ったことはありませんでした。でも、映画を見ているうちに、凪沙の動作の機微や表情、発する言葉に女性の、あるいは女性以上の美しさ、色っぽさを感じてしまい、次はどう動くの?次は何を言うの?と、知らない間に気持ちが吸い込まれてしまいました。

実は映画を見る前は、草彅君はテレビに出てくるいわゆる「オネエ」を演じているのかと思いました。しかし、そうではなかった。彼女達は、テレビなどの芸能界や夜の街などにしか生きる場所がないから、人を楽しませるという生業のためにトランスジェンダーもネタにしているのかもしれません。

画面に映る東京のネオンを見ながら、彼女達は自ら進んでそんな世界に飛び込んだわけではなく、心に葛藤を抱えて居場所を探しながら生きているのかもと、「オネエ」を見る目が変わったように思いました。

肝心なバレエシーンは…

親戚の子「一果」ちゃんを預かった凪沙。経済的にも裕福ではないので、バレエの先生に月謝を待ってもらうように頼みに行きます。

保護者のような気持ちが芽生えて一生懸命お金を集めようとする凪沙や、一果ちゃんにバレエを続けさせてあげてくださいと頼む先生を見ていて、とても切なくなりました。周りがどんなに心で応援していても、経済的なことが原因でバレエを始めとした文化的な習い事を諦めた子、世の中にはもう数えられないぐらいいるでしょうね。

私の小さい頃はバレエには憧れていましたが、習いたいとは言えず終いでした。両親に習いたいと言えば教室に通わせてくれたでしょうけど、例えその頃通えたとしてもありがたさを感じていたかはわかりません。

大人になって通うようになったバレエ教室ですが、今では自分の中にもう一人の自分がいて、楽しそう、やってみたいと思うならできるだけやらせてあげたい、挑戦させてあげたい、とそんな感覚でいます。子供を持つ人ってきっとこんな気持ちなのかも、なんて想像します。

映画では、たくさんの有名なヴァリエーションが出てきました。オデットはもちろんのこと、エスメラルダ、アルレキナーダなどなど。これらは将来的に挑戦してみたいなと思ったし、経験したことのない発表会やコンクールの場面での緊張感も伝わってきました。それに、ちょうど今私がヴァリエーションのクラスで習っているパキータのエトワールのシーンもあり、耳覚えのある曲が聞こえてきて、異様に胸がドキドキしました。

レッスンで先生が指導する言葉や声の調子、レッスン体験に行った一果ちゃんがとりあえず体操服で踊る姿なんかがとてもわかるような気がしたし、愛おしく感じられました。一果ちゃんがトウシューズを履いてバレエを踊るシーンはため息が出そうなぐらいきれいでした。

監督はバレエに造詣が深いわけじゃないと思いますが、バレエ愛というか、バレエをリスペクトしているのが伝わってくるいい映画でした。

誰も本来の自分で生きてないのでは?(ネタバレ有りです)

台湾では、同性婚が法的に認められるよう署名活動が行われているときに署名しようとしましたが、外国籍だった私は権利がなく、結局署名できなかったということがありました。

実際のLGBTのカップルであれ、それをテーマにしたどんな作品であれ、「仲良きことは良いこと」ぐらいにしか考えておらず、自分は受け入れていると思っていました。でも、それはきっと他人事としてでした。

この映画は、単に社会に「LGBTを受け入れて」というメッセージを投げかけている、それだけの内容ではない。映画の中では性別の認識に苦しんでいる凪沙でしたが、誰にでも本当の自分じゃないと感じながらも演じている部分ってあるのではないかと思いました。

そして、凪沙のあの決断は、本人にとって、あれでよかったのか?とずっと考え続けています。あの決断によって、本当の自分に戻ったのだろうか?後悔していないのか?と。

凪沙は「自分を大切にしなさいよ!」叫んでいましたが、凪沙は自分のことを大事にした結果があれだったのだろうか?「自分を大切にする」ってどういうことだろうか?

とにかく頭の中にたくさんの疑問が生まれてきて、答えが出ません。

映画の宣伝としては「誰かのための愛のかたちを描いた」となっていますが、単に自己を犠牲にして他人に尽くすということを言っているのではないと思います。私は、自分にとって、本来の自分との整合性をすり合わせていく、これがこの映画のテーマになっているのではないかと勝手に感じました。

とにかく映画を見終わってからは、草彅君が元気にしているかどうかが気になって仕方なく、YouTube動画で元気そうに動く草彅君を見て心底安心している自分がいます。それだけ草彅君の演技がすごかったということなのでしょうね。もしも彼がジャニーズ事務所にいたら今回の役はできなかったんじゃないかと思います。その草彅君の大きな決断、踏み出した勇気は凪沙に通じるものがあるのかもしれません。

この映画、これからも何回も反芻しては、答えのない問いについて考えそうな気がしています。

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